現在の北海道美瑛町に、明治29年那智勝浦町の旧太田村より大挙して入植し、29戸が構えられた。入植した人々の舐めた辛酸は想像に難くない。
昭和63年十勝岳が噴火し、大きな被害をもたらした。爾来、平成元年より、十勝岳の鎮火と家内安全、美瑛町の発展を祈願して、故郷の那智の火祭りを模して、那智・美瑛火祭りが行われることとなった。今年は20周年記念の大祭にあたり、熊野那智大社より大松明六本、大松明の担ぎ手、無形文化財町の田楽舞いの舞い手、宮司等、総勢25名が参加し、親交を暖めておられました。

 

 

7月下旬。美瑛町は花盛りでした。畑には秋植えの小麦がたわわに実り、大型のバインダーで刈り取りが行われていました。
我々の故郷、那智勝浦町から見れば、まるで別天地が広がっていました。
遠来の客、我々をねぎらって、 美瑛町を挙げてバーベキュウの歓迎パーティーを開いてくれました。接待の中心は美瑛神社の祭典実行委員会のメンバーでした。山海の珍味ありで、実に楽しいひと時でした。
世界の考古学者、吉村先生も祭典に関する講演のために美瑛に着ておられました。ユーモアあふれる挨拶で、会場の空気を和ませておられました。
大雪山を見上げる広場で、はるばる那智から運ばれた火種(右のケースの中にあります)が杉の砕片に採火されます。採火された火種を多くの子供たちのリレーによって美瑛神社近くまで運ばれますが、その少年の一人が「 ウワー、CO2を出している!」と叫びました。思わずハットいたしました。私たち大人は鈍感になってしまっていて、地球の温暖化防止に寄与していない。しかし、子供たちの感覚がここまで研ぎ澄まされていくには学校の先生方その他の教育が徹底していることを示しています。もしかしたら、子供たちの世代には地球の温暖化は本当に防止できるのかも知れない。
火が到着するのを待つ間、無形文化財「那智の田楽舞い」がまわれます。故郷で見れば、まあ言ってみればいい舞いなのですが、ここで見る田楽の舞いはやはり素晴らし舞いで、歴史と由緒を感じさせます。
素晴らしい豪華な美瑛神社の中では、巫女たちによって舞いがまわれます。6人の巫女が交互に出入りしつつ、おごそかに、 格調高く舞いがまわれます。
日がとっぷり暮れた頃、美瑛神社近くまでリレーされてきた火種から火をとって点火された仮の松明が美瑛神社に持ち込まれる。あたりがいっぺんに騒然となる。
それら仮の松明を火種として点火された大松明(重量は40−50kg)が神社の境内を乱舞する。6本の美瑛の大松明と6本の那智の大松明の協演である。
那智と違い、松明と見物人は同じ平面に立って、これといった垣根は特に無い。それだけに迫力は満点である。
これが那智の大松明。右上の写真で左側で燃え盛るのが美瑛の大松明。よく観ていただけばわかると思いますが、那智の大松明はその長い歴史と、大松明を専門に作る宮大工がいるということもあり、作りの細やかさが違います。
和歌山県の那智勝浦町と北海道の美瑛町。今となっては不思議な縁があるものです。明治29年那智勝浦町の旧太田村より入植した人たちは、この近辺、特に家が立ち並ぶあたりに入植したと聞きました。
冬の寒さはいかばかりであったか。開墾の苦労はいかばかりであったか。
今の美瑛町を見ていると、わが先祖に大いなる誇りを感じる。

 

 

那智の火祭り

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